私たち人間が、これからの時代に身に着けていかなくてはならない力の一つに、「断られること」に対する免疫力があります。
さらに言えば、「拒絶されること」への慣れ。
私たちが生きていく上で、誰かや何かに何かを「断られる」ことは避けては通れません。
小さなことで言えば、頼み事を断られたというようなことから、大きなことで言えば、勇気を振り絞ってプロポーズしたのに断られたというようなケース。
様々なレイヤーの「断り」や「拒絶」があります。
誰かや何かから「断られる」と、多かれ少なかれ痛みを感じます。
まるで、自分という存在がまるごと否定されたかのような錯覚を起こすから。
本当はそんなことはないのだけれど、自我が弱いと自分の痛みを受け止められず、相手を責めてしまったり、相手の自由意志を尊重できなくなってしまったりします。
自己否定が強い人だとどうしても深く傷ついてしまいがち。
でも、その状態では幸せに生きていくことはほぼ不可能です。
この記事では、「断られる」とはどういうことか、それに慣れることで、よりストレス少なく生きられるヒントを書いてみたいと思います。
目次
断られる理由
大抵の場合、なぜ「断られる」のかというと、自分と相手との「相性が悪いから」。
双方の間に何かしらのズレ、ミスマッチが発生しているので、何かを断られたり、拒絶されたりということが発生します。
ミスマッチの内容には、
- 変えられないもの
- 変えられるもの
があります。
変えられないミスマッチの例
写真家に断られた例
私にはプロカメラマンの友人が3人います。
結婚する際にウェディングパーティーの写真を撮る仕事を彼らに依頼しましたが、3人全員から断られました。
理由は全員同じ。
「そういうタイプの写真は自分の専門ではなく、撮れないから」。
え?
と思われるかもしれませんが、そういうものなんです。
2年ほど前に、仕事で使うポートレート写真を撮影したくて、当時住んでいた町にあるフォトスタジオに端から連絡しました。
ですが、見事なまでにすべて断られました。
理由はまったく同じ。
「その手の写真は手掛けていないから」。
「自分の専門以外できない」というのは案外普通のことです。
ジャズ・ミュージシャンは演歌は歌えないし、産婦人科医が脳外科の手術をできる訳ではないのです。
翻訳の仕事を断った例
私自身、金融経済専門の翻訳士です。
法務関係や医療関係の翻訳の仕事の打診が入ることがありますが、私はそういう分野に関しては歯が立ちません。
なぜなら専門知識が全くないから。
業界の専門用語も知らなければ、必要な概念や通念も持ち合わせていない。
そういうものが無い状態で、言語だけ訳すということはできないからです。
努力すればできるのでは?
と思う人もいるかもしれません。
ですが、内情を言えば、私は法務や医療には興味や関心が全くないので、努力する気がない。
自分がやりたくないことはやらない。
私自身がそういうスタンスなので、相手のそういうスタンスも受け入れることができます。
付き合いたい相手や結婚したい相手に断られる例
結婚相手や付き合う相手に関して「来るもの拒まず」という人は少ないでしょう。
最低限自分の好みに沿った相手かどうかで判断される。
私のように自分が完全インドア派であると自覚している人は、アウトドアが大好きで、週末は登山やキャンプ三昧という人とはお付き合いすることができません。
これはもう致し方ない。
相手から「断られた」としても、それは自分に何か問題があるとか、自分の存在が否定されたとかいうことではない。
ただ単に相手と自分のミスマッチが発生しているというだけであることを理解することは、自分の精神衛生を快適に保つためにとても重要です。
変えられる例
一方で、自分自身に問題があって相手から断られる、拒絶されるということがあります。
金銭問題、依存症問題、不倫・浮気など裏切り行為、モラハラ、DV、パワハラなど、何かしら機能不全な問題がある場合です。
この場合、誰かから何かを断られたり拒絶されたりしたら、真摯に自分と向き合うことが必要でしょう。
しかしそれすらも自由意志にかかることですから、「直すか直さないか」は本人次第。
問題があるまま生きるのもよし、向き合って改善するのもよし。
問題があるまま生きる場合は、今後の人生においてもそれが原因で相手から断られたり拒絶されたりする可能性があるということを受け入れる必要があります。
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