怖れを乗り越えるとはどういうことか。
たとえば、自転車に乗れない人が、自転車に乗れるようになりたいと願う。
自転車に乗れるようになれば、きっと世界が広がる。
今まで行けなかった場所へも、行けるようになる。
楽しいだろうなぁ。
乗れるようになりたい。
でも、乗れるようになる前に、何度も転ぶかもしれない。
痛い思いもするかもしれない。
身体に擦り傷ができるかもしれない。
それは嫌だ。
この怖れがあるときに、人は前進できません。
「そんな思いをするくらいなら乗れなくてもいいや」という状態。
しかしいずれ、「もっと広い世界を見てみたい」という欲求は、抑えがたいほどに膨らんできます。
それに伴い、「自転車に乗れるようになりたい」という気持ちも大きくなる。
なぜなら、私たち人間には、「成長欲求」が備わっているから。
内面が健全な人であれば、いつまでも三輪車に乗っていたいとは思わないもの。
痛い思いをしてでも「やりたい」気持ちが上回ったとき、人は怖れを乗り越える方向で動き出します。
「怖れを乗り越える」とは、「何度も転んで痛い思いをすること、身体を擦りむくかもしれないことを、受け入れる」こと。
「傷つきたくない」と、チャレンジを回避し続けることは、子供っぽいナンセンス。
人間として生まれた以上、一つも傷つかずに生きられる人はいません。
生きるとは、傷つくことを意味します。
「転びたくないから、自転車には乗りたくない」と言うのと同じこと。
自転車に乗れるほどの「バランス感覚」を養うために、何度も転ばなくてはなりません。
何度も転ぶうちに、身体のどこにどれくらい力を入れればバランス感覚を保てるのか、体感でわかるようになります。
そして最終的には、一人で自転車に乗れるだけのバランス感覚を「体得」する。
怖れを乗り越えるとは、自分の痛みを自分で背負う覚悟を決めること。
その覚悟ができたとき、人は大きく成長します。
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