一つ、シェアしたい記事があります。
この記事、大変失礼ながら、とてもよく書けていると思いました。
内容は主に中国のことですが、少しだけ、日本と日本人の在り方に触れている個所があります。
その内容が秀逸だったので、ご紹介してみたいと思います。
目次
現代日本人が集合的に抱える性格的な歪みの要因
日本人は教養が低い
「教育はあるが、教養はない」。太平洋戦争で日本人捕虜を評したアメリカ人の言葉らしい。最近は「教養本」があふれているようだが、「日本人には教養がない」ことの証左ではないのか。そもそも教養とは、上っ面の学問や知識のことではなく、出自、他国他人との関係性(相手の背景や世界的に必要な共通知識)、またその交換(理由のある論理的対話と受容)のことだろう。「おらが村」で完結し、外の相手に無知、論理的な会話が苦手で、法治より人治な大方の日本人には苦手な分野だ。
「教養とは、上っ面の学問や知識のことではなく、出自、他国他人との関係性(相手の背景や世界的に必要な共通知識)、またその交換(理由のある論理的対話と受容)のこと」
日本人は自我が弱いために、「自分たちとは異質なものに対する怖れ」が強く、相手と水平な立場で渡り合うことを避ける傾向があります。
自分の殻に閉じこもって対処するのは、自分たちとは違う相手と対峙することで生じるアイデンティティ・クライシスに対する自衛本能。
「「おらが村」で完結し、外の相手に無知、論理的な会話が苦手で、法治より人治な大方の日本人には苦手な分野だ。」
日本人にとって「会話」とは、常に何かしらの「術」を意味しているように思います。
「いかに相手を自分の思い通りに動かせるか」
他者と「対話」できるためには、まずは相手と自分が水平で対等な立場に立っている必要があります。
そして、「目の前の相手は自分とは違うのだから、理解する努力を要する」という認識が必要不可欠。
しかし日本人には、自分はリンゴだけれど相手は果物ですらないテレビなのだ、という発想も知識もないので、相手を深く理解しようと努める代わりに切り捨てて、「リンゴの方がテレビよりも素晴らしい」と思い込むことで脆弱な自我を守ろうとする。
日本のマナーこそが素晴らしい。
この防衛機能を見切れるのが、真我です。
構造的な自意識の問題
現代日本人は自虐史観や敗戦国という事実から、そもそも国民、民族として誇りは相対的に少ないといえよう。だから「日本スゲー」のコンテンツが多い。が、本質的に好戦的ではないので、アニメやマンガ、料理、細工など実に平和的な空想と活動に専念する。CMなりアニメの主人公が日本人とかけ離れているのは、全ての日本人が多かれ少なかれ抱いている
・西洋人への劣等感
・アジア人への優越感
の昇華だ。そんなコンプレックス持ちの民族が、上記リンクで大阪市の言う「共生」なんてできるか?「ルール、ポリシー、基準なき個人の良心にまかせた共生」などムリだろう。もともと遠慮が美徳で、会話が下手で、日本語という特殊言語、宗教観に乏しい日本人。
江戸時代から明治、大正、昭和初期と日本の文化的な遍歴を振り返る中で、日本人が決定的におかしくなったきっかけは、「軍事化」(ファシズムの台頭)なのですよね。
「ファシズムが暴走した」結果、戦争に負けた。
敗戦をきっかけとして、日本は民族的に癒えない「劣等感」を抱えてしまった。
それ以降の日本人の弱点は根強く残っている「西洋人に対する劣等感」で、弱点を補填するために「エゴ」が発達し、根拠に乏しい「日本スゲー」礼賛が溢れるに至りました。
私が知る限り、日本に旅行して「もう二度と来たくない」と感じる外国人は相当多い。
でも、自分の恥部を直視しようとせず、褒めてくれる人たちの「感想」ばかり集めたがる裸の王様状態。
そして、中国その他を見下すことで優越感を保ち、脆弱な自我を守ろうとする。
事実や現実をありのままに認めようとしない自己欺瞞の状態です。
ここに見る構造的な自意識の問題をまずは直視して、「ありのままの日本人」をそのまま受け入れることが、「現代日本人が集合的に抱える性格的な歪み」を乗り越える唯一のレメディと考えています。
前例主義
前提が変わったとき、前例主義でどうするのか。 先天的、生理的な嫌悪感。後天的、感情的な憎しみ。偏見、先入観による拒否反応。対話を避け、相手を正しく認識しないことの弊害たるや。アメリカ追従の価値観で、相手の言語や歴史を理解しようとする気概や必要な教養もなく、単面的に判断する「無教養」はそろそろ完全停止すべきだ。とはいえ、その単一的な田舎者根性、発想、職人主義が日本の細か~い料理、工芸を作っているのは事実。一定に文化を守るにはそれでいいのだろう。もっとも後継者がいないので、すべて廃れていくだろうが。
日本人は「前例のないもの」に対処できません。
問題が起こった時は必ず前例に倣って対処する。
「前例を覆す」ことは、何としても避けなくてはならない。
今の時代、「どうすることが正解なのか」を自分たちで考えなくてはならないのは、思考停止に陥って久しい民族にとっては地獄と言えます。
「相手を正しく認識しないことの弊害たるや」
これは、日本人が表裏が激しい民族だということと無関係ではないのです。
日本人の9割方は、妄想の世界に住んでいます。
相手の言葉の裏を読み、肚を探る。
「口ではあぁ言っているけれど、本当は違うんだろうな」
と、勝手な忖度をする。
勝手につくりあげた「前提」(先入観や偏見)で相手を見る。
ただ、その歪みに、自分たちでは気づけないのですよね。
このことに関しては、今までも記事に書いてきていますので別途参照になさってください。
「アメリカ追従の価値観で、相手の言語や歴史を理解しようとする気概や必要な教養もなく、単面的に判断する「無教養」はそろそろ完全停止すべきだ」
完全に余談ではありますが、記事中で触れられている「中国の富裕層の中には、私を含む日本人よりもはるかに教養の高い人たちが大勢いる」という記述。
中国と一言に言っても、日本に大挙して押し寄せてきているのは急激な経済発展でお金を手にした成金庶民の層なのですよね。
それを見て「中国人は・・・」と言っていても、正しい理解とは言えません。
私自身、香港では、非常に教養の高い洗練された香港人と何人も知り合いになりました。
彼らはイギリスやカナダといった先進国での寄宿生活を経験しているので、日本の庶民よりもはるかに洗練されているのです。
まとめ
とりとめのない内容になってしまいましたが、結論的には、今まで書いてきた通り、一人ひとりが自己統合を進めることによって、
- 表裏のない性格
- 他者と水平に対話できる能力
- まっすぐに世界を見ることができる認知力
を獲得していくことだと考えます。
アセンションの時代に心・身体・魂を一つにするメソッドを学ぶ「自己統合」コース。
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