率直にお話しすれば、私は、日本社会にまん延している「言葉遊び(選び)」にウンザリしています。
「距離を置く」と言って絶縁する。
「早期退職者を募る」と言ってリストラする。
「優しすぎる」と言って共依存と過干渉を正当化する。
「協調性」という名の同調圧力。
「ふんわりとした耳障りの良い言葉」で物事の本質を覆い隠し、自分にとって都合の悪いことから目を逸らせる。
社会全体が自己欺瞞に陥って、自分の選択の責任を負えない人を大量生産しているように見えているのですよね。
日本社会の「協調性を重視する」傾向が、必ずしも本来の意味での調和(「自己と相手を等しく尊重する」状態)ではないのですよね。
多くの場合、それはむしろ「自分が目立ちたくない」「排除されたくない」という怖れや、不安に基づいた行動であると、私は考えている。
この違いは本質的であり、表面的な行動や言葉選び(言葉遊び)の背後にある動機を深く理解することが、本当の意味で調和的な社会を築く上では不可欠であると考えています。
目次
本来の「調和」と社会的な「同調圧力」の違い
本来の調和とは
日本語の「協調性」が示す真の調和とは、自己と他者を等しく尊重し、双方の違いを認め合いながらも、協力や共存を可能にする状態のこと。
この調和には、個人の自己表現と自由が前提として含まれています。
相手を尊重する行動に自己犠牲は必要ではなく、自然発生的なエネルギーの流れに基づくものです。
社会的な同調圧力
一方で、日本社会に見られる「調和を重視しすぎる」傾向は、実際には同調圧力として機能しています。
個人が自己を押し殺し、集団の期待や空気に従うことを「調和」と呼んでいるケースが少なくありません。
この「調和」は、表面的な平穏を保つためのもの。
その裏には「排除されることへの恐れ」や「波風を立てたくない」という自己防衛的な心理が潜んでいるわけです。
自分が何かを言ったりやったりする際に、「波風」を心配するのは、日本人の特徴です。
それは「協調性」ではなく、「排除されることへの怖れ」。
恐れに基づく行動の問題点
恐れに基づく行動の問題点は、自己尊重や他者尊重のバランスを崩すこと。
自他の境界線が曖昧になり、各々が安心して自分らしく振舞えなくなるということです。
深刻な自己喪失を生み出す
「目立たないようにする」という行動は、自己の確立を難しくし、結果として本来の個性や能力を発揮できない状況を生み出します。
多くの日本人に見られる「自分のなさ」は、「自分を抑えている」というレベルのものではなく、「自己が確立できていない」というほどのもの。
「自分がない」という状況は、アイデンティティや自己理解が確立されていないため、
- 自分の内面にアクセスしづらく
- 自分の意思や価値観を表現できない状態
を指します。
- 自分が何を望み、何を感じているのかが不明確
- 自分にとって何が大切かがわからない
- 自分の感情を認識しても、それを言葉にして他人に伝えることが難しい
そのため、自分が何かをする・しないを決定する軸がすべて外側の世界にあり、他者との同調や迎合を手放すことができません。
これは特に日本社会において、集団調和が重視され、自己表現が抑圧されることが要因であると思われます。
他者と本当の意味で関係性を築けない
表面的な「調和」を優先することで、相手との関係が本物の信頼や理解に基づくものにならない傾向があります。
私個人の経験をお話すれば、価値観の食い違いがあったときに、
「さぁー、どうでしょうねぇ」
といった曖昧な「ふんわりとした言葉」ではぐらかされると、その時点で「距離感」が生れます。
逆に、
「あ、あなたはそうなんだ。私はこうなんだよね」
と、自分の価値観をありのままに話してくれる人とは、風通しの良い人間関係が築けそう、と感じる。
しかし、多くの日本人は「排他的な教育」を受けているために、自分の価値観を言葉にしていうことは、「相手の価値観を否定する」ことであると思い込んでいます。
しかし、それは勘違いというもの。
自分の価値観と相手の価値観は、そもそも同じではなく、違ったままで共存できるもの。
インドアが好きな人と、アウトドアが好きな人。
どっちが正しいとか間違いの話ではなく。
小学3年生と大学3年生。
発達段階が違うので、学びの内容も違うというだけのこと。
違いを受け止め、ありのままに受け入れることを学ぶときが来ているのです。
表面的に「衝突を避けた」会話ばかりしていれば、本当の意味で実のある人間関係は築けないというのが、私の実感です。
痛みが連鎖する
個人が自分の感情や意見を犠牲にすることが普通になると、それが社会規範として広がり、世代を超えて引き継がれていきます。
現に、日本の20代にその傾向がかなり明白に出ていますよね。
- 目立ちたくない
- 自分を抑えて周囲と馴染みたい
ここでいっているのは、「服装」や「髪型」のことではありません。
生き方や在り方のことです。
調和の再定義の必要性
「調和」という言葉が本来の意味で使われるようになるためには、その基盤を「恐れ」から「愛」へとシフトさせる必要があるのです。
自己表現を尊重する社会へ
自分の意見や感情を率直に表現しても安全であるという信念を、社会に根付かせること。
そのためには、価値観は一つではないこと、「表面的な調和」よりも「各々の違いを尊重できる」意識を育むことが急務です。
そのためにまずは、自分の個性を認め受け入れること。
自分だけの良さを、自分が大切にすること。
それができる人が、他者の個性も大切にすることができます。
自分を大切にするコミュニケーション
自分が言いたいことを抑えるのではなく、内面で感じていることに忠実に、誠実に、自分に嘘のないコミュニケーションを心がけること。
本当は嬉しくないのに「嬉しいです」と言わないこと。
本当は行きたくないのに「是非行きたいです」と言わないこと。
本当は帰りたいのに「もう少しいます」と言わないこと。
自分も相手も尊重し合う姿勢を持つこと。
多様性の認識
違いを恐れるのではなく、価値として受け入れる意識を育むこと。
自分の姿を等身大で受け入れること。
自己欺瞞を止めて、日本社会が持つ「調和」という価値観を正しく認識することが、個々人の自由と尊厳を尊重する方向性を見出す鍵となると考えています。
まとめ
「言葉」はとても便利で、いかようにも使えます。
しかし、「ふんわりとした言葉」を選ぶことが、自分や相手にとって都合の悪いことを「覆い隠す」ために機能している場合、そこには深刻な欺瞞が生れます。
欺瞞だらけの社会は、機能不全です。
本当の意味で調和する社会を築けるようになるために、都合の悪いことを言葉遊びで「隠そう」とするのではなく、しっかりと見据えてズレを修正することで、本来あるべき「調和」を取り戻していけると考えています。
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