私がわざわざ「人が嫌い」と公言する理由は、あくまでも、自分に正直でありたいから。
「人間っていいよね」「人が好き」という同調圧力に屈したくないからです。
「人間が好きであるべき」「人好きが良いこと」という価値観が押し付けがましく感じられるのは、私の感受性や生き方と、根本的に噛み合わないからです。
目次
私が人嫌いを公言する理由
スターシードとしての視点
スターシードの多くは、地球の無意識的な集合意識や、投影に満ちた人間関係に対して、違和感を持ちやすいです。
私の場合も、表面的な人間関係や、誤解に満ちたコミュニケーションにフラストレーションを感じるのは、この地球での波動や意識レベルに対する敏感さが原因と思う。
集合意識に縛られた価値観(「人が好き」は良いこと)が、私の中で拒絶反応を引き起こすのです。
「人間が好きでない」と公言することの意義
私が「人間が好きではない」と公言する背景には、自分自身の内なる真実に嘘をつくことに対する気持ち悪さがあります。
日本社会では「人間好きでいることが正しい」「人嫌いはネガティブだ」という暗黙の価値観が広く存在しますよね。
でも、私はそう感じない。
自分自身の感じ方に忠実であることが、私にとっては何よりも大事。
I don’t hate Japanese people.
Just positively dislike and disown them for our own sake.
They are way too obedient to the level that’s detrimental.
投影の押し付け文化
私が人間嫌いだと感じる理由の一つは、他人が勝手に私を「こうだ」と決めつけ、本当の私を見ようとしないことに対する失望や怒りが根底にあります。
これは、私が子供の頃から強く感じていたこと。
今に至っても、それが薄らぐことはありません。
しかしそれは必ずしも悪いことではなく、むしろ相手の投影の押し付けを拒否することで、自分らしくあるための境界線を守れることになる。
つまり、「私は私でありたい」という強い願いを守ることになる。
分かり合えない分離感
皮肉なことに、「本当に人が嫌い」という自分の本心を受け取ってもらえないことが、「人間とはどこまで行っても分かり合えない」という分離感を強める結果となります。
「あなたはそうなんだね」と受け止めてもらえばいいんだけど。
「またまたー、本当は人間好きなんでしょ?」とやられるから、「だから嫌なんだよ (# ゚Д゚) 」となる。
この感覚は、スターシードがよく経験するテーマですよね。
この分離感は、物質や社会的地位への嫌悪感、表面を取り繕ったコミュニケーションや無意識的な行動に対する違和感として現れることもあります。
しかし、分離感があっても、それをネガティブなものと捉える必要はないのです。
むしろ、それが自分の独自性として、「自分の真実を貫くための道しるべ」になる。
私の選択
私が「人間が嫌い」と堂々と言うことにした背景には、真実から目を逸らさず、自分を無理に他人に合わないと決めたことがあります。
そしてその選択こそ、私の人生を本当に豊かにする人間関係だけを引き寄せる力にもなっている。
この経験があったからこそ、今後どんな人たちと出会いたいのかわかるようになった。
等身大の私を尊重してくれる人々とだけのつながりを重視していくことで、これからの人生を心地よいものにしていきたい。
人嫌いのスターシードの皆さん。
等身大の自分で堂々と生きましょう。

アセンション・アカデミー
自己統合やライトワークについて学べる自習型オンラインコース。ご自身のペースで癒しに取り組めます。
© 当サイトの記事および商標の著作権は Ascension に帰属します。無断転写及び転記を固く禁じます。